ポップアップ決めてドヤ顔

最後サビいくで〜〜〜!!!

送らないファンレター1通目

1通目て書いたけど2通目を書く日がくるのかな。書ける日がくるのかな。彼に手紙を送れる機会がこれからもあることを祈るし、わたしが彼に宛てるくらい彼のことを好きでいたらいいなと思うけれど、それはそれとして一生送らない。今もファンレターと評しながら彼に感情を宛てて書けていないので。

 

ファンレターを書けるタイプのヲタク、一生横原さんには書きたくないし。何度だってファンサが欲しいヲタク、横原さんには一生されたくない。わたしが舞台とか、昨日は松竹座にいて、横原さんの色のキンブレを振っていて、瞬きさえも惜しいほどに横原さんしか見てなかったこと、一生知らないままでいて。

 

今回、LIVEに、スプパラに、松竹座に行って。新幹線に乗る度、来年もスプパラの名前を聞く度、大阪に行く度に、松竹座という会場に触れる度に、わたしは今日のことを思い出すんだろうなと思う。LIVEの中身は覚えていないくせにその道中に見た景色とか触れたものは忘れられないヲタクなので。公演後、膝を抱えながら、東海道新幹線から見える真っ暗な景色を見ていたことも、横原くんのことに、今日の思い出に浸りたいのに何も術がなくて、好きになった当時に見てたドTVをなぞるように見返したことも。

 

記憶を辿るように公演中のことを思い返しても、正直あんまり覚えていない。ライトが点いて彼らのシルエットが照らされた時に横原さんと位置ズレ無しでドセンだったこととか、なになになんて?てつい笑ってしまったよくわからん挨拶とか、MCの時に意外と喋るんだなと思ったこととか。

DADSHOESの時にあんなに浴びたはずの歌も踊りも、何曲見ても何曲でも見たかった。ずっと見ていたかった。ジャニーズ事務所所属で、デビューを掴むためにジャニーズJrとして、ジャニーズの曲を歌って踊る横原さんを、この春で最初で最後にしたくなかった。

 

最後の曲です、とあらちゃんが言った時に、横原さんがどんな顔をしていたのかはわからないけれど。2フレーズ目にはこぼれてしまった涙を、払うような手で何度も拭う横原くんが、みんなと円陣を組んだ時に泣きながらも目を伏せて笑って、ちゃんと最後まで手を振ってくれて。

横原さんが泣くことに、感情を出すことに、それをヲタクに見せてくれることに、何よりも驚いて。でもそれよりもずっと、彼が目の前で泣くのはデビューする時が良かった。横アリに立てた時が良かった。おめでとうと言いながらわたしも一緒に泣きたかった。

一緒に泣けなかった。感極まることも滲むこともなかった。目頭を抑えることもせず、ただひたすらに涙をこぼす横原くんから目を離したくないと思って。離すべきではないと思って。歌えなくなっていくメンバーがいる中、自分のパートを歌いあげて後ろを向く横原くんを、唇を噛み締めて、キンブレを握りしめて見ていた。

 

ヲタクの贔屓目で、フィルターで。そりゃそう。だって上手だなと思ったから好きになったんだし。好きだから好きだとしか言えないんだし。だからこそヲタクは思うけれど、彼らが横アリに立てなかったのも、滝沢歌舞伎に出れないのも、デビューができないのも、わたしは一生納得しない。もしこの後彼らがまたステージに立つことを選んでくれたとしても、それが結果としてデビューになったとしても、彼らが夢を諦めて、あんなに泣いて、崩れるように泣いて自分たちで選んだという曲さえ歌えなくなるほどに泣いて、そんな思いを彼らにさせたことを、わたしは事務所を一生許さないし。法が許すなら事務所に噛み跡つけに行ってるし。わたしだってやろうと思えば多分なんとかきっとどうにかなるし。ドンでバコンでドギャンだし。

 

忘れたくないな。忘れちゃうのかな。こんなに横原くんのことが好きで、一緒に背負わせてほしくて、泣かないでほしくて。一生幸せでいてほしい人が、今幸せじゃないことが何よりもくやしくて、わたしが何もできないことがそれ以上にくやしい。

 

もし、もしも横原くんがジャニーズとしての自分を閉じるなら、IMPACTorsとしての自分を閉じるなら。せめてこれから先の彼の人生が、はたまたあってほしいと願う新たな門出が、どうか幸せなものでありますように。がんばってきたことも涙することも悔しい思いをすることはさらに、もう彼の人生にとって辛いものではありませんように。眠れない夜も、現実を思い出して絶望する朝も、ご飯がおいしくないと思うこともありませんように。

一生、という言葉は無責任には使うべきではないと思う上でわざと使いますが。一生横原くんのことが好きなこと、一生横原くんに知られないまま、一生横原くんのことを好きでいたいなと思う春の松竹座、一生忘れませんように。